***心理学の実習について その1***

あと1年足らずでこの大学を遂に卒業することになった。初めてアメリカに渡ったときは、不安と期待の入り混じったなかで、昂奮だけが先立っていたが、ゴールがやっと見えてきた今は、ずっと落ちついていて、所謂カルチャーショックの最終段階にいるんだなぁと、しみじみと感じる。何か新しいものに突き当たったときに、日本の文化と比較することは未だに禁じえないが、以前とは違って、どちらに贔屓するとか、そういうのはなくなってきた。勿論、私は日本人だし、日本の文化のほうがよっぽど馴染みも深く、感情的にも当然ながら傾いている。しかし、それらを先入観という形で、なにかの判断に用いることは減ってきた。

さて、今学期、私は心理学部卒業のために必要な単位で、心理専攻の生徒にとっては、1つの難関となる実習のクラスを取っている。私の担当は、軽度の知的障害を持つ大人たちの行動矯正、そのなかでも知覚や知識の向上のデータを取るための試験及び、新しいデータを取得するためのビジュアルベーシックを使ったプログラム作成に必要なリサーチの手伝いということに落ちついた。週5回授業の合間を縫って、この実習のための時間を捻出しないといけないため、食事をとる時間もないまま、駆けずり回ることも多い。

車でキャンパスから10分のところにある、知的障害を持つ子供と大人の研究、精神科、それにセラピーを受けている外来患者のための、大学の別の施設に行く。ダウンタウンの裏手に当たる場所にあるのだが、そこから程遠くない場所にある、障害者の職業センターとおそらく連結されているのだろう。そこで、私の働いている研究施設で行動矯正を終了した軽度の障害者達が社会で働くための場所を探すのである。

この研究施設の中で、私が働いている、知的障害者の研究が行われている場所は、地下1階にある。初めての打ち合わせがあって、この建物の地下に向かうエレベーターを待っているときに、エレベーターのドアの向こうから、奇声が聞こえてきて、私はこの時点でかなり怖気づいてしまった。しかし、引き返すことはできない。エレベーターのドアが地下1階で開いたとき、そこにはサーモンピンクの絨毯に、真っ白の壁のだだっぴろい空間が続いていた。その広間を囲むようにして、実験室や、ミーティングを行う部屋、それにコンピューターを置いてある部屋などがある。広間には、重度の、そして軽度の知的障害を持つ子供と大人が常時30人くらいいて、トレーナーの指示を受けつつ、行動矯正をしている。私が働くのはコンピューターラボだが、この空間を通らずして、そこには辿り着けない。

私を担当してくれるケビンという大学院生は言うまでもなく、ここに以前から通っているので、彼の後ろをついて歩くと、数々の障害者達が、かれにボディタッチを求めているのを見る。親近感を表すのに彼らはそういう手段を用いることが多いようだ。手をケビンのほうにぐっと突き出す。ケビンは笑いながら彼らのその手に触れる。自然な挨拶の光景を好ましく眺めながらも、一方で私もこのような関係を築いていけるのか、不安にもなる。 (2に続く)

2-13-01